世知辛い世の中ですが、心温まるホットな話題を提供していきたいと思います。
人間っていいなーという気持ちが広がれば、自分も周りの人たちも幸せになれるのではないでしょうか。


■空

 久しぶりに地球のステージ・桑山さんの話を聴いてきました。パレスチナと震災で被害のあった名取市を加えたものでした。
パレスチナでは心に傷を負った少女のために映画が作られました。その中のワンシーン、「空には地上のような境目がない。純粋な子どもの心の中にも境目はない。いつの間にか心の中に境目をつくってしまう」という言葉が胸にしみました。
 そして名取市でも同じような映画がつくられましたが、津波で子どもを亡くしたお母さんの言葉が胸にしみました。命を大切にしてほしい。命の大切さを語り継ぐことが自分の役目だと。震災直後、現地に行って以来、なぜ犠牲にならなければならないのか、なぜこんな数多くの悲しみがあるのか、と自問自答する毎日でしたが、この言葉に救われた思いです。命の大切さをかみしめ、戦争やいじめや自殺のない世界をつくらなければいけない、そのことが数多くのくやしさをなぐさめることにつながるのだと実感しました。


■聖フランシスコの祈り

争いのあるところに和解を
分裂のあるところに一致を
絶望のあるところに希望を
慰められることよりも慰めることを
理解されるよりも理解することを
人のために死ぬことにより生きる

テロが荒れ狂う中、心にしみる祈りです。


■伊集院静さんの言葉

 
伊集院さんに会ったことはないのですが、小説やエッセーはいくつか読んでいます。現代の無頼と呼ばれていますが、僕はちょっと違うんじゃないかと思います。というか、無頼の定義そのものがどうなのかということにもなりますが。
 ただ、松井秀喜を認めているというそのことだけで、僕は伊集院さんがずっと好きでした。
 その伊集院さんが、赤旗日曜版のインタビューに出ていました。
 生きる中での辛いこと、苦しみは必ず成長の糧になると励ましてくれました。
 僕自身、議員になる前も、なってからも辛いこと、苦しみの連続です。人生って、ひょっとしたら辛いこと、苦しみの連続かなって思います。
 でもそれは意味のない苦しみではない。生きているからこそ、感じることなんだってこと。
 ゲーテは「人間は努力する限り悩むものである」といっています。

 ならば、と最近考えます。生きる姿勢は自分で制御できるのではないかと。
 ISと対立が続く中、違いよりも共通点を見いだせるのではないか、苦しい日々でも何か楽しいことを口に出せるのではないか、NHKの番組を観ていたらこんなことを感じました。
 これも伊集院効果かなって思っています。



■大村先生の会見

 ノーベル医学生理学賞受賞の大村智北里大特別栄誉教授の会見内容はすばらしいものでした。この方は利己心というものからは最も離れたところに位置している方ではないでしょうか。

 座右の銘は?との質問に対し、おばあさんから言われた「人のためになることをしなさい」という言葉をあげています。分かれ道に立った時は、それを基準に考えてきたそうです。

 若い学生に対しては、絶えず失敗しないとだめと語り、「成功の陰にはその何倍もの失敗がある。そのことを忘れないでほしいですね」と語っています。

. 大村先生は工業高校の定時制の先生から研究者になったという異色の経験を持っていますが、期末試験に飛び込んできた生徒の手に付いている油をみて「ああ生徒たちはこういうふうに勉強しているのか。自分は何をしているのか」と考えたことが研究者を志すきっかけになったとのこと。

 アフリカの多くの子どもたちのいのちを救った方ならではのいい感性ですね。



■大石邦子さんの講演より-悲しみを看護婦さんはともに背負って- 
 
大石邦子さんという、重い障がいを背負いながら人々に希望を語り続ける方がいます。この世で一番美しいと思う文章を贈ります。自分の子もこの看護婦さんのような感性豊かな人になってもらいたいな。
 「桜の季節でした。会津には鶴ヶ城というお城があり、夜桜の季節になるとぼんぼりが灯って桜見物の人で賑わいます。私はもう自分の足では歩けないだろうことを察していました。私なんか生きていても生きていなくても、世の中少しも変わりなく動いていく、そんな落ちこぼれ感にさいなまれて寝ている私の下には、のどかな夜桜見物の人の足音。そんなある夜でした。色々考え ているうちに一気に頭に血が上って、何がなんだか分からなくなってしまったのです。私はあらん限りの大声で泣き叫び、手当たり次第に物を投げつけて大暴れをしました。深夜のことでしたから、その物音は病棟中に響いたと思います。看護婦さんが飛んできて「どうしたの、クーチャ ン」と言ったきり、茫然と立ちすくんでいます。その看護婦さん目がけても物を投げつけます。投げつける物がなくなると、看護婦さんの着ていたカーディガンを引っ張ったり、叩いたりして泣き叫んだのですが、彼女は何も言わない。ただじっと私を見つめているだけなのです。どうして怒 らないんだと思います。そのうちに私はもう精も根も尽き果てて、声も涙も出なくなってしまいま した。そんな私を見届けるように看護婦さんはおもむろに床に膝をつくと、私の頭を抱き寄せるようにして涙を拭いてくれました。その時です。「ちょっとだけ、桜を観てこようか」。それは全く思 いがけない言葉でした。看護婦さんは私自身も気づかない心の向こうを見通すようにそう言う と、ヨレヨレになったカーディガンを私に着せ、私を背負って真夜中の細い階段を下りていってく れたのです。私はその看護婦さんの背中の温かさを、今も忘れていません。ああどうしてあんな馬鹿なことをしたんだろう。看護婦さんの背中の温かさが、私にそう思わせたのです。青春時代を病み、障害を背負って生きていかなければならない私のこの悲しみ、空しさを、この看護婦 さんは共に背負ってくれたのです。私の心を分かってくれる人がいる。そう思えることが、その後生きていく上でどれほど大きな力になったか分かりません。一人の人間として本当に大事に されていると実感する時、人はきっと変わっていきます。」


■ナミダさん(花子とアンより)
 いま、NHKの朝ドラでは「花子とアン」を放映しています。大正から昭和にかけての激動の時代、様々なストーリー展開があって毎日わくわくしながら観ています。
 関東大震災では多くの犠牲者が出ましたが、被災してきた子どもたちに向けて花子が語りかける物語がすてきです。

ナミダさん
昔、ある所に、あんまり泣くので「ナミダ」という名を付けられた小さい娘がありました。
なにか思うようにならなければ、ナミダさんは泣きました。
ある朝、学校へ行く道で、例のとおり泣いておりますと、、、

そこへカエルが一匹飛び出してきました。
ナミダさんはカエルに言いました。
『なんだって私についてくるのよう』
すると、カエルは、
『なぜかって言われたら、もうじきお嬢さんの周りに涙の池が出来るだろうと思いましてね』

ナミダはなお一層泣き出しました。
『よしてください!よしてください!』
カエルは夢中になって飛び回りました。
『そんなにお泣きになると、大水が出ます』
なるほど、ナミダはちょっと泣くのを止めて、あたりを見まわしますと、水は一刻一刻に増しておりました。

ナミダは泳げなくて困ってまた泣き出すのです。
『私をこの島から出してちょうだい』
カエルはナミダにこう言いました。
『この島から抜け出す道は、一つしかありません、、、笑うんです』


■水漏れコースケの話

同じような話が昔のテレビドラマ「水漏れコースケ」にもありました。石立鉄男さんが出演するいいドラマでしたが、その中で石立さんが話していた物語を今でもおぼえています。
お母さんを探しに旅に出た少女が、あともう少しという地点まで来ながら、大きな川に道を遮られ、向こう岸に渡ることができません。橋もない、船もない。もうお母さんには会えないの?
その子は絶望して涙を流すだけでした。しかし、そのとき、その涙に光が差し込んで、大きな虹ができました。その虹を渡って少女は川を渡り、お母さんに会うことができたのでした。

なぜかこの話は忘れられません。いつも希望のようなものが、心の隅にとまっているような感じです。